出会い
宮本さん(インドのIT企業ISMの営業担当部長であり旧友)から電話がかかってきた。2012年1月10日、午後3時くらいである。
「今から、蒲田に来れない?」
聞いてみると、新しい仕事で一人アサインしているのだが、スケジュールが苦しいので参画して欲しいとのことだ。
まあ、年末に前のプロジェクトを解任されて、長めの正月休みだったので、参画することに問題はない。
「ちょっと今からじゃしんどいな。明日の朝にしてくれない?」
「分かった。アイヤパンさんていうインド人がいるから来てね。僕も行くけど」
翌日、僕は蒲田に出かけた。このオフィスは昨年末にも来ているので入り方は分かっている。
千葉の奥地から蒲田まで行くのも大変だけどね。
なんと僕の方が早かったらしい。
たばことトイレで時間を過ごしていると、それらしいインド人が現れた。
「アイヤパンさんですか?」
「そうです。イシカワさん?」
「Yes.よろしく」
ちょっとベテランらしい風貌で、日本語もうまい。
そうこうしてるうちに宮本さんもやってきた。
キックオフ
コーナースペースで僕らは3人でミーティングを始めた。
プロジェクト全体は現行の基幹システムの再構築(移行)なのだが、データベースやアプリケーション・サーバが変更となる。
ISMの担当はデータベースの移行である。
これだけ聞くとたいしたこと無いように思えるが、データば膨大であり、
元のデータベースがメーカ独自方式が強いものでクセがあった。
アイヤパンさんが、顧客から提示された参考スクリプトがら見積もったスケジュールは
実装フェーズから要員を追加して3月末までかかるものだった。
「スピード感が違うと言われてるんだよね」と宮本さんは言った。
そこで、僕が最初から入る体制で再見積りし、2月末までにおさめる様に再スケジュールしたのだ。
これは先方(その先のエンドユーザ)にも納得してもらえたようだ。
それから開発用のPCを依頼して、その日はとりあえず終わりである。
縁
週明けには開発環境もできて、作業が始まった。
WBS(Work Breakdown Structure)を作りながら、
「どういう分担にしましょうか?」(アイヤパン)
「Collaboration」(イシカワ)
アイヤパンさんは意外な顔をしたが、僕はお互いの協力が最も大事だと思っている。
もちろん、担当は決めるのだが、いつでも変更可能なもので良いでしょう。
お昼休みは、1階上ののオープンスペースで食べた。
僕は相変わらずサンドイッチ、アイヤパンさんはカレーごはんである。
「そのカレーは自分で作ったの?」と聞くと、タンガさんが作ったという。
Wow、タンガさんは以前のプロジェクトで良いパートナーだったエンジニアである。
なんとアイヤパンさんは一度も自分で部屋を借りたことがなく、ずーと、同僚の家を渡り歩いているらしい。
大阪の豊中でもタンガさんと一緒に居たらしく、あの頃は、インド人の同僚も多くていろんな所に遊びに行ったとのことだった。
「僕はタンガさんと一緒に仕事をしたよ。よろしく伝えて」
ちょっとだけ、僕は嬉しかった。
順風満帆?
外部設計を終えて、プログラム設計をしながらコーディング・テストをしていた。
今回の範囲はデータ移行なので、形式ばったドキュメントは要求されていない。
アイヤパンさんとは、あれこれ話しながら、問題を解決していった。
提供されたプログラムが動かないので、Cで作ったりもした。
20数年前のノウハウでも活きるもんだね。
オンスケで進んでいる。進捗報告でも「順調です」で十分だった。
19時くらいには、「帰りましょうか?」と言って帰ったものだ。
2時間くらい通勤時間がかかるので、僕はこのくらいには帰りたい。
「プログラムテストはどうなってるの?」
と山本さん(データ移行に関しての御目付)が聞いてきた。
「自分らでやってます」と答えたが、
「エビデンスは?」「残してません」、、、、
なんか、いやな感じになってきた。
暗転
「 第3者が 確認できる必要がある」
「他のチームは皆やってるから」
おいおい、ドキュメントはほぼ要らない約束でスタートしてるんじゃないの?
本番データへの備えの方が大事でしょう?
そんな反論を試みるが、建前としての言い分は分かる。ちゃんとその分の面倒を見てくれるのならね。
ゴール【データ移行の完全性】と手段【プログラムやドキュメント】がひっくり返ってると思っても、お堅いお客には逆らえない。
プログラムテストも仕様・テスト・ドキュメントまで行うことになったのである。僕の嫌いな作業だ。
これじゃ早く帰れない。10時に出ても12時に家に帰れるかどうかなのに。
「お客様は神様です」かも知れないが、最初の話と違うぞ、そんなのあり?
しかも、僕はアイヤパン1になってしまった。ドキュメントに僕の名前は残さないらしい。
僕は宮本さんに電話をした。
「名前なしだぜ。金払うつもりはないんじゃないかと思うけど、ちゃんと払ってくれるの?」
「払わないとは言ってない。金額は決まってないけど」
「こんなんで、今のまま、続けてもいいの?」
「続けてくれ」
この部署の部長は、宮本さんの元部下だったらしいが、
「事業部の今期の予算が未達らしい、、、」とかいやな話が聞こえてくる。
休日出勤
「この2日分の遅れをどう取り戻すんでしょうか?」
遅れたのは、余計な作業が入ったためだろう。こっちのせいじゃない。
そう思っても、オンスケを守るのが大事なのは分かる。分かりたくないが、、、
「徹夜よりも、土曜日に出てシステムテストをやる方が良いです」
アイヤパンさんも同意したので、翌日の土曜日は出勤となった。
本番環境でのデータ抽出が来週に予定されていたのでシステムテストである。
スタートはまずまずだったので、「昼ごはんはインドカレーでも食べに行きましょうか」となっていたのだが、
不具合が発生してインドカレーどころではなくなってしまった。
「データを減らしてテスト時間を減らしましょう」
もう19時くらいになっている。まだ、早いと思うだろうか?
残りのテストをまともに実施すれば深夜0時には終わらない。
結局、テスト対象データを減らして終わらせることにしたが、もう家まで帰る電車がない。
「タンガさん、泊めてくれるかな?」
アイヤパンさんがケータイで電話してOKをもらったようだ。
よし、早く帰ろう。
駅の階段でつまづきながら、総武線のラッシュに潜り込んで、
なんとか亀戸までたどり着いた。
駅の近くに朝までやってる居酒屋があるじゃないか
「入ってもいいですよ」とアイヤパンさんは言う。
入ろうか、やきとりはOKだよね。
疲れた後のビールが喉にしみる。
アイヤパンさんは子供の写真を見せてくれたりして、「very cutie」だね。
「3月にはインドに帰りたい。家を建ててるし、子供の学校もあるから」
ふーん、インドでは日本の義務教育みたいなものはないんだ。
さらに、コンビニでビールとつまみを買ってタンガさんの家へゆく。
URなんだろうな。大きな団地。
入ってゆくと既にタンガさんは寝てるようだ。
それからアイヤパンさんといろいろ話したり、吉本新喜劇を見たりしていた。
大阪に居たからか、、、でも、吉本でゲラゲラ笑うインド人も可笑しいよね。
タンガさんの作ったであろうカレーも食べさせてくれた。
美味しかったよ。ほんとう
朝早い電車で僕は家に帰った。それから飲み直してぐったり寝た。
お別れ
元々のデータベースからのデータ抽出はオンスケで完了した。
次はOracleへのデータロードだ。
800GBのディスクは用意されていたが、パンクしそうになったり、
思うような性能が得られなくて、苦労していた。
元々、データ移行の実施はこちらの担当ではなかったはずなのに、
作業手順書まで作らされて、完全にオーバーワークだ。
トラブルも重なって1週間くらい遅れてしまった。
「アイヤパンさんは3月2日で終わりにします。」
アルさん(ISMの支社長)は言った。
Oracleへのデータロードは見る限り完璧だ。すごいねアイアパンさん。
僕はもう1週間、残作業をするけれども、、、
帰りに蒲田の近くで二人で飲みに行った。
「イシカワさんは何でもできますね」
そういうところはあるかも、いろいろやってるし、でも
そんなことはない、難しいところはアイヤパンさんにお願いしてるよ。
「大企業だけど、ほとんどブラックだよね」
いろいろプロジェクトの文句も言いながら、お酒を飲んだのでした。
Good bye Iyapan.
帰りの電車で寝過ごして、気が付けばもう戻りの電車はない。
一駅くらい歩こうか 明日は慌てて起きる必要もない
小雨の中を歩こうか、、、
思い出と一緒に